プロフィール

1980年横浜市鶴見区生まれ(旧姓・金谷)。森村学園高等部、筑波大学国際総合学類卒。民間企業にシステムエンジニアとして勤務後、国際輸送業に関わる。世界から貧困と紛争をなくしたいという思いで数々のボランティアに携わり、日本共産党に入党。夫と4歳・7歳の4人家族。2016年参院選(神奈川)では48万7729人の県民のみなさまの支持を得る。

5人家族

1980年3月23日、父、母、兄、妹の5人家族に産まれました。子どものころはぜんそくがあり、負けず嫌いの性格をもちつつ、忍耐とガッツが持ち前になりました。

部活、バイト、留学

中学・高校はバレーボール部。レシーブのために校庭でも転げ回る泥臭いプレースタイルでした。高校1年生の時にはアルバイトでお金を貯めて、ニュージーランドでホームステイに挑戦。高校2年の時には、カンボジアに学校を造るボランティアに取り組みました。

筑波大学時代:貧乏旅行と留学

「世界から貧困と紛争をなくしたい。」10代を通して、この思いが強くなっていきました。その方法を知るために勉強を続けようと決意し、筑波大学に入学しました。大学時代は、教室だけでは分からないと思い、バックパッカーとして世界14カ国を貧乏旅行。その後、フランス語を学ぶため、フランスのポー大学に語学留学。アメリカのニューヨーク州立大学には交換留学で学びに行きました。国際的な環境で、たくさんの大切な出会いに恵まれました。

しかしその後、家族の三人(母・兄・妹)を突然、交通事故で亡くしました。自分は何のために生きているのか、あらためて模索し、もがくなかで、命を大切にする社会に向けて、社会活動・平和運動に参加するようになりました。

就職、NGO、新たな出会い

卒業後は、まずシステムエンジニアとして就職しました。しかし、「貧困と紛争のない世界を作りたい」という初心を貫きたいという思いに突き動かされ、アフリカにNGOを作るプロジェクトを立ち上げます。ところが、このプロジェクトは様々な要因でうまく行きませんでした。挫折のなかで、自分の無力を反省させられる経験でした。その後、アフリカ時代に出会った社長に誘われ、貿易会社で輸出業に携わるようになります。ここで私は、リアルな経済の仕組みや会社経営の苦労を教えられました。

日本共産党での活動

日本共産党は、先の大戦において、最後まで命がけで侵略戦争に反対した、日本でもっとも伝統のある政党です。留学やボランティアの海外経験、企業での社会経験をへて、「貧困と紛争のない世界をつくる」ために、私は日本共産党をとおして、街頭での労働相談や、国政・県政との交渉、「お仕事実態調査」や「青年雇用集会」の活動に関わり、平和を日常から作るうえでもっとも大切なこととして、雇用問題に取り組んできました。また、中越震災や東日本大震災のあとはボランティア活動に邁進しました。

日本AALA主催のパレスチナ大使の講演の通訳
ニューヨーク州立大学での原爆展企画・運営
2010年NPT再検討会議に向けた国際平和会議に参加
被ばく者の話を聞く会の企画・運営
2012年衆議院議員総選挙 神奈川15区から立候補
2013年参議院議員選挙 比例代表候補
2016年参議院議員選挙 神奈川選挙区から立候補

2016年参院選後

「パパの帰りが遅いから8時間働けばふつうに暮らせる社会を実現してほしい。小学生の中で一番人気だったからまた頑張れ」いただいたこのメッセージを胸に「8時間働けばふつうに暮らせる社会へ」と題したパンフレットを各地でお渡しし「その社会を一緒につくろう」と呼びかけ、力を合わせてきました。
この活動の中で、ママたちからも大きな反響がありました。長時間労働はワンオペ育児をうみだし、長時間労働ができないからと女性差別を生み出していること、働く人だけでなく、親の長時間労働、保育士や教員の劣悪な労働環境は、子どもたちをも犠牲にしていることを痛感しました。そこで新たに県内各地で150回以上の懇談を繰り返し、女性たち、母親たち、そして子どもたちの声を受け止めてきました。
神奈川県内の米軍基地にまつわる問題では、防衛省と外務省への聞き取りを重ね、米軍基地に直接出向いて繰り返し申し入れを行ってきました。ほかにも、無期転換逃れ問題では厚労省に、多額な納税による担保差し押さえの問題では国税庁に、教科書問題では文科省に……地域のさまざまな問題や課題に対して、日本共産党の国会議員や地方議員団と一緒に、改善のために力を尽くしてきました。

共謀罪法案、カジノ法案、入管法改定、TPP関連法案、働き方改革関連法案、Me too、ヘイトスピーチ解消……国民の怒りの声が上がる時、あさか由香は必ずその場に一市民として参加し、ともに声を上げ、ともに歩んでいます。